わすれない日
2011年 03月 13日
こんな事が本当に起きるなんて悪い夢のよう。
被災地の方々には本当に心からお見舞いをしたいと思います。
ここでこうして時間を過ごしていることに感謝します。
身内では、去年から甥っ子が大学進学で仙台市内に住んでいました。
震災当日、祖母(私の母)の喜寿祝いの為に上京予定で、
幸運にも震災時には丁度東京駅に到着したころでした。
本当に幸運でした。
でもこんな折、喜寿祝いは延期にしました。
原子力発電所の事故は本当に心配ですよね。
被爆者が出てしまったことには驚いたし、不安で一杯になりました。
被爆国でありその原子力の意味をよく分かっている私たちの国なのに、
どうして原発に頼って生活しているのか、こんな酷い危険と隣合わせにいるのに。
今の私達の便利な生活って本当に正しいのかって、改めて考えさせられました。
震災の影響で家に帰れなくなって、ここに泊まった子供の友達を昨日自宅まで送り届けてきました。
お父さんは単身赴任中で、子供の無事も確認が取れず、お母さんは凄く不安だったと思います。
震災当日は間接的に無事は知らせることができましたが、母娘が直に話せたのは翌日の朝でした。
お友達のお母さんは凄く喜んで、沢山のお礼を用意して待っていました。(そんなのあたり前のことなのにね)
娘さんとの対面にじわじわと涙を流すので、こっちまでもらい泣きしてしまいました。それは心配でしたよね。
私も下の子の安否が不明で、2駅間歩いて友達と2人家に帰って来た時には、安心して2人をハグして涙が出てしまいましたから、その気持ちは良く分かりました。
新宿からタクシーに飛び乗ったけど荒川の橋で道が全く動かなくなり、そこから2時間かけて歩いて着いた友達のお母さんからは、「このご恩は一生わすれません。感謝しています」というちょっと大袈裟なメールを届きました。
震災のあった日には、子供達が友達を連れてきたりその家族が集まって来て、たいしたものではなかったけど鍋などして夕食を取りました。
少しでも誰かの役に立っていたなら本当に良かったと思います。
まだまだこれからも何が起こるか分からなし、つらい現実を知らなければならないかもしれません。
私にできることは、一体なんなんだろ。
心配して連絡をくれた友人の皆さま、本当にどうもありがとうございました。
被災地の方々には本当に心からお見舞いをしたいと思います。
ここでこうして時間を過ごしていることに感謝します。
身内では、去年から甥っ子が大学進学で仙台市内に住んでいました。
震災当日、祖母(私の母)の喜寿祝いの為に上京予定で、
幸運にも震災時には丁度東京駅に到着したころでした。
本当に幸運でした。
でもこんな折、喜寿祝いは延期にしました。
原子力発電所の事故は本当に心配ですよね。
被爆者が出てしまったことには驚いたし、不安で一杯になりました。
被爆国でありその原子力の意味をよく分かっている私たちの国なのに、
どうして原発に頼って生活しているのか、こんな酷い危険と隣合わせにいるのに。
今の私達の便利な生活って本当に正しいのかって、改めて考えさせられました。
震災の影響で家に帰れなくなって、ここに泊まった子供の友達を昨日自宅まで送り届けてきました。
お父さんは単身赴任中で、子供の無事も確認が取れず、お母さんは凄く不安だったと思います。
震災当日は間接的に無事は知らせることができましたが、母娘が直に話せたのは翌日の朝でした。
お友達のお母さんは凄く喜んで、沢山のお礼を用意して待っていました。(そんなのあたり前のことなのにね)
娘さんとの対面にじわじわと涙を流すので、こっちまでもらい泣きしてしまいました。それは心配でしたよね。
私も下の子の安否が不明で、2駅間歩いて友達と2人家に帰って来た時には、安心して2人をハグして涙が出てしまいましたから、その気持ちは良く分かりました。
新宿からタクシーに飛び乗ったけど荒川の橋で道が全く動かなくなり、そこから2時間かけて歩いて着いた友達のお母さんからは、「このご恩は一生わすれません。感謝しています」というちょっと大袈裟なメールを届きました。
震災のあった日には、子供達が友達を連れてきたりその家族が集まって来て、たいしたものではなかったけど鍋などして夕食を取りました。
少しでも誰かの役に立っていたなら本当に良かったと思います。
まだまだこれからも何が起こるか分からなし、つらい現実を知らなければならないかもしれません。
私にできることは、一体なんなんだろ。
心配して連絡をくれた友人の皆さま、本当にどうもありがとうございました。
by mbin3
| 2011-03-13 20:19
| もろもろ